徹底した取材で話題作を執筆 「生涯作家」山崎豊子
作家 山崎豊子
2013年9月、88歳で亡くなった山崎豊子氏。彼女はさまざまな作品を残していきました。小説家としての経歴や代表作についてまとめていきます。初期のころは故郷・大阪を中心とした小説を発表
小説家・山崎豊子氏は1924年に老舗昆布屋の娘として大阪で生まれました。学校を卒業した後に、毎日新聞社に入社し、勤務の傍ら小説を書いていました。そして、1957年に生家の昆布屋をモデルにした「暖簾」を刊行してデビューを果たしました。翌年には吉本興業の創業者をモデルにした「花のれん」という作品で第39回直木賞を受賞しました。ここで新聞社を退職し、作家生活に専念するようになりました。
初期の作品は出身地である大阪をモチーフにした作品が多くありました。足袋問屋の息子を描いた「ぼんち」や大阪大学医学部をモデルとした「白い巨塔」、当時の神戸銀行をモデルとした経済小説「華麗なる一族」などの作品が挙げられます。
大阪からテーマを離し、社会問題全般を描く作家に
初期の作品では、故郷の大阪に密着した作品を発表していた山崎豊子氏。しかし、その後はテーマ設定を大阪から離し、社会問題全般に広げていきました。戦争の非人間性を描いた3部作「不毛地帯」、「二つの祖国」、「大地の子」を発表した後、日本航空社内の腐敗や事故について扱った「沈まぬ太陽」を書き上げました。
最近では、西山事件をモデルとした「運命の人」を2009年まで連載していました。
そして、2013年8月より週刊新潮で新作「約束の海」の連載を開始していましたが、第1部を書き上げた後に体調不良で入院し、作品は未完のままその生涯を閉じました。
小説家としての山崎豊子氏の評価
山崎豊子氏の主要作品の大半が映画化およびドラマ化されており、直木賞や大阪府芸術賞、婦人公論読者賞や菊池寛賞など、多くの賞を獲得しました。そのため、人気も実力も日本屈指の小説家であったと言えます。一方で、参考とした資料をそのまま作品に反映させることが多く、盗作との指摘を何度も受けることがありました。
例えば、長編小説「花宴」の一部分が「凱旋門」に酷似しているという指摘を受けたり、「巴里夫人」、「天の夕顔」からの盗用が判明したりしたことから、日本文芸協会から脱退しました(その後、再入会しています)。
また、「大地の子」を巡っては訴訟にまで発展する事件となりました。
盗作疑惑が付いてまわったものの、山崎豊子氏の作品が大作であることには変わりありません。秋の夜長を、山崎豊子氏の小説を読みながら過ごしてみませんか。
1995年(平成7年)発表。2009年(平成21年)同名の映画化作品が公開。