フィギュアスケート浅田真央選手、ソチ五輪で引退か!?

開幕まであと少しとなった『ソチオリンピック』!
浅田真央は2013年4月に、ソチを限りに引退する意向を表明しました。

ここでは、フィギュアスケートと共に成長した、
浅田選手の軌跡についてご紹介します。

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2010年バンクーバーオリンピックの浅田
作者 David W. Carmichael
出典: ウィキメディア・コモンズ(Wikimedia Commons)


バンクーバー五輪では史上初めて3回のトリプルアクセル成功!

浅田真央は、1990年9月25日生まれのフィギュアスケート選手であり、2010年に開催されたバンクーバー五輪では銀メダルを獲得しました。

また、この大会では女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させたことでも話題となりました。

また、姉は同じくフィギュアスケート選手である浅田舞です。

浅田選手は愛知県名古屋市生まれで、中京大学附属中京高等学校を卒業し、
現在は中京大学体育学部に在籍しています。

名前は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来しています。

また、オリコンの『好きなスポーツ選手ランキング』女性部門において、
何度も1位を獲得しています。


スケートとの出会いは5歳、ジュニア時代も素晴らしい成績

浅田選手がスケートに出会ったのは5歳の時でした。
姉の舞と共に名東フィギュアスケートクラブに入会し、同時にバレエのレッスンも受けていました。

2000-2001シーズンからはグランプリ東海クラブに所属し、小学6年生のときに特例で出場した全日本選手権では『天才少女』と呼ばれました。

そして、2004-2005シーズンではジュニアグランプリにおいて3戦すべてで優勝し、ジュニアデビューを果たしました。

そして、2006年のトリノオリンピックへの出場を期待する声もありましたが、年齢制限に満たなかったため、代表資格を得ることができませんでした。

2006年以降はコーチを変更し、米国カリフォルニア州に拠点を移しました。
そして翌年にはロシアに渡り、表現力の強化を図りました。

しかし、海外生活のストレスや、中京大学のフィギュア専用リンクが完成したこともあり、練習拠点を米国から愛知に戻しました。

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母との別れを乗り越えて…ソチに臨む浅田選手

バンクーバー五輪ではジャンプの内容や回転不足などにより、技術基礎点は全体の6位になってしまいました。

しかし、演技などで高評価を得たため、銀メダルを獲得しました。

オリンピックの女子シングルにおいて日本人選手がメダルを獲得するのは、トリノオリンピックの金メダル荒川静香選手に継いで2大会連続でした。

そして、2011-2012シーズンは3季ぶりにGPファイナル進出を決めました。
しかし、母親の健康状態が悪化したため、ファイナルを欠場しました。

母親の葬儀翌日から練習を再開し、短期間の調整で臨んだ全日本選手権では、2年ぶり5度目の優勝を果たしました。

そして、2013年4月にソチ五輪のシーズンを限りに引退する意向を表明しました。
ソチ五輪はもちろんのこと、その後の彼女の動向にも注目が集まりそうです。


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