元祖キュリー夫人に学ぶ リケジョとは?
年明けから今に至るまで、この言葉の持つ意味がこんなに急変動するなんて
思いませんでしたね。
「リケジョ」です。
リケジョの元祖、キュリー夫人について調べてみました。
きっとこの言葉の持つイメージが変わると思います!
世界で初めての女性科学者
キュリー夫人(マリー・キュリー 1867~1934 ポーランド生まれ)ラジウムの発見者として、放射能研究のパイオニア的存在となり
ノーベル賞を2度受賞しています。
「放射能」という言葉は、彼女の発案なのです。
一度目は、夫ピエールとともに放射能の研究でノーベル物理学賞受賞。
夫の死後、
ラジウムおよびポロニウムの発見とラジウムの性質およびその化合物の研究で
単独でノーベル化学賞。
また長女夫妻もノーベル化学賞を受賞しています。
女性が研究をするなんてとてもめずらしい時代です。
この開拓者としてのキュリー夫人はどんな人だったのでしょう。
キュリー夫人の生い立ち
ポーランドで生まれたマリーには、姉が3人、兄1人いました。父は科学者、母は校長先生を務めていました。
この当時、ポーランドはロシアに併合されており、教育者などの
知識層はロシアの監視下にあり、行動は制約されていました。
反ロシア運動を抑圧するためです。
あるとき、父が密かに行っていた講義がロシアに見つかり
一家は職と住居を奪われます。
困窮、さらに人の好さがあだになり、さらに貧困生活を送りました。
「粉屋のおじさんにお金を貸したら戻ってこない」という
伝記でのくだりがありますが、これは結局のところ投機の失敗のようです。
そんな苦しい生活の中、姉1人そして母もチフスや結核でこの世を去ります。
ポーランドからパリへ
貧困と絶望の中ですが、マリーの成績はとても優秀でした。卒業後、当時のポーランドでは女子に大学進学の道は開かれていなかったので
留学したいという思いを抱え、親戚や各地を転々とし、勉学に励みます。
実験助手や家庭教師などで少しずつ生計をたてていきます。
この間の熱い思いは、どこから来ているのでしょう。
それは、祖国ポーランドの独立 復興を願う気持ちなのです。
キュリー夫人伝 (1968年)
知恵はなによりの財産
貧困、女子の進学の道は開けていない、そのような状況だと普通はあきらめ、別の道を探すのでしょう。
ところがマリーは、医学を志すも同じような壁にある姉にこう提案します。
「私は家庭教師をして仕送りをするから姉さんは大学に行って。そして
姉さんがお医者様になったら、今度は私が進学することを助けてください。」
そうして3年、姉は医師になり、父も少し稼ぎのめどがついたこと
ようやくマリーも進学できるようになったのです。
パリ(ソルボンヌ)大学理学部24歳のことです。
今から100年以上も前にこのような女性がいたことを思い出し
改めてマリーの気持ちの強さに感銘を受けます。
そして、生きていくうえで、知恵はなによりも財産だということを
現代の私に気づかせてくれるのです。
地道な生活は変わらず
マリーはフランス人物理学者のピエールと数年後結婚し共同で研究者としての道を歩みます。
二人の娘にも恵まれ、家事や育児もこなしました。
こういうと簡単ですが、マリーの人生は日々地道なものです。
研究費用の捻出もままならず、一家は苦しいながらも
「熱い思い」で前に進んでいきます。
キュリー博物館
引用 http://rosemary-photos.blog.so-net.ne.jp/2012-10-24-2
ピエールの死そしてスキャンダル
共同研究の中、ラジウムを発見しノーベル賞を受賞した夫妻ですがピエールは馬車事故で不慮の死をとげてしまいます。
その後、単独でも化学賞を受賞したマリーですが、この頃同時に
ピエールの教え子との不倫騒動がスキャンダルとなってしまいます。
これはのちに教え子の妻が裁判をおこして、フランス中に広まる
大ニュースになり、第一次世界大戦まで格好の餌食となってしまうのです。
また、マリーはフランスの科学アカデミー会員の候補に推薦されますが
これもまた面倒な事態を引き寄せました。
対立候補は男性、フランス人、カトリック教徒の人物でありましたが
アカデミーの周囲が女性、ポーランド人、自由主義のマリーという
これまたわかりやすい対立構図を作ってしまったのです。
新聞は、マリーの人格を否定するような記事を書き
ピエールの功績にのっただけだと揶揄します。
いつの時代でもスキャンダルを売り物にする輩はいるものです。
それでも、マリーはひるみませんでした。
堂々とストックホルムでの授賞式にも参加し、生涯研究を続けます。
体調を崩すこともあり、療養生活もありましたが
日々をしっかりと生きていったのです。
リケジョを見守る
国内で研究に励み、家事育児もこなしている人は今も相当数います。彼女たちの日々は実に地味なものであり
とても「リケジョ」と軽くひとくくりにはできないような気がします。
日々研究に専念できるよう、私たちは静かに見守りたいですね。